患者さん、地域の方、そして職員にとってよい病院に

職場紹介

朝礼より

3分間スピーチ:2013年4月22日(月)

今日は1月に当院に入院していた祖母の話をしたいと思います。

まず最初に病棟やリハビリのスタッフの方々、その他多くの方に大変お世話になりました。祖母は、11月に具合が悪くなり、県立病院に2か月、当院に1か月入院し、現在は家で元気に過ごしています。

その祖母が家で大きな事件を起こしたのは4年前でした。仕事が終わり、家に帰ると近くに嫁いで行った姉の笑い声と異様な臭いが漂っていました。何かと思い、茶の間に入ってみると無残に汚れた畳やいつもいる場所ではないところに座っている祖母が目に入りました。何が起こったのかを姉に聞いてみると、たまたま家に来たら、異様な臭し、誰もいない茶の間で茶色の物体をみつけたそうです。「象のフンのようなものが畳に落ちている、とびっくりした」、と笑いながら何度も話していました。いつもリハビリパンツをはいている祖母がその日はズボンしかはいていなかったそうです。その状態で茶の間で便をしてしまい、そのままトイレにいこうとしたため、ズボンの隙間から便がでてきて畳などに落ちたのではないか、ということでした。当の本人は、トイレから帰ってきて、ケロッとした顔をしており、「今帰ってきたなが?」といつも通り、何事もなかったかのようにしていました。

その時の祖母は股関節が悪く、歩くのが辛くなってきたことに加え、認知の方も若干落ちてきていました。そのため、トイレに行くのが億劫になり、茶の間で座ったら動かないことも多くありました。その辺りからは、祖母と家族との戦いが始まりました。トイレに行こうと促しても立ち上がらない、トイレに行ってパット交換をしようとしても、1時間以上もトイレから動かない、ご飯も1時間過ぎても食べ始めない、と根気強く接していかないとダメな日々が続きました。

この話の他にも多くの事件を起こしてきた祖母ですが、姉や自分が小さい頃、共働きしていた両親の代わりに、自分たちの面倒をみてくれていました。両親共に仕事で夜遅くまで帰ってこない時に、「自分は親が帰ってくるまで寝ない」とぐずっても文句を言わずに一緒に深夜まで起きていてくれました。そもそも股関節が悪くなったのも、「親が小さかった頃、家計のために重い荷車を引きながら物を売ったりした影響だ」と聞いたことがあります。家族のためと、体に負担のかかる仕事もこなしていたそうです。

今は、昔とは逆に、自分が料理を作って食べさせたり、おむつを交換したりしていると、不思議な感じもします。たまにですが、硬い物があまり食べられなくなった祖母のために料理を作ると、「本当においしいやぁ」と喜んでくれます。「昔、たくさん面倒を見てもらった分、少しはおばあちゃんに恩が返せているかな」と思います。

現在は父が早期退職をし、祖母の介護を主にしています。祖母が祖父を面倒みていたように、父や母が祖母を面倒みているように、自分も両親が年老いた時、面倒みていきたいと思います。未来のことなので確約はできませんが、一生懸命に祖母の面倒をみている父や母の姿を見て、今そう思っています。

栄養科 齋藤伸幸

3分間スピーチ:2013年4月10日(水)

早いもので私が新庄に来てから1年が過ぎようとしています。
元々は、神奈川県の川崎市で育ちましたが、山形で暮らす1人暮らしのおじいちゃんが心配で引っ越してきました。

来る前は、自分で決めた事とはいえ、育った地や家族、友達と離れるということ、親戚以外知る人のいない土地へ行くことに不安でしょうがありませんでした。友達や当時の職場の人からも「どうして仁美が行かなくちゃいけないの?」とか「他の人じゃダメなの?」と言われましたが、「そんなこと言ったってしょうがないじゃん」という気持ちと「確かにそうだよね。」という気持ち半々でした。

そのため、「10月頃には行くね」と言っていたのから、「やっぱり今年中に行くね」、冬になり「やっぱり雪がある時は大変だから、雪が解けた春頃には行くね」とどんどん先延ばしになっていきました。

そんな時、横浜で暮らしていた姉の結婚話が出て、祖父が神奈川県へと遊びに来ました。私が、祖父に「山形でやっていけるか不安」という気持ちを素直に打ち明けたところ、祖父は「うん」とうなずいていましたが、その表情は少しがっかりとした様子でした。祖父が帰る日、東京駅へ送っていった私に「仁美の気持ちも分かるよ。後悔しないようによく考えて、本当に来るかどうか自分で決めなさい。でも、本当は早く来てほしいけどねっ!」と笑った祖父の顔が、明るくて、優しくて、しわくちゃで、少し寂しそうで・・・。この時、私は「こんなに私のことを考えて想ってくれている人をほっとけない!!」と山形に来る決心をしました。

そして1年近くが過ぎ、仕事や遊び、趣味にと毎日が慌ただしく過ぎていく中、正直に言うと「雪も多いし、遊ぶ所も少ないし、本当に来て正解だったのかなぁ」という気持ちもあります。ですが、これからの人生結婚したり、子供ができたり、その子供にまた子供ができたりして、自分がおばあちゃんになった時に「若い時はいろいろ悩んだけど、やっぱり新庄に来ていがったなぁ」と思える日がくればいいなと思います。

栄養科 伊藤仁美

3分間スピーチ:2013年4月3日(水)

私には1歳の娘がいます。生まれて約1年は育児休暇をもらい、自分と家族とで育ててきました。何もかも初めての事ばかりで、日中1人での育児に戸惑う事もあり大変でした。今は仕事に復帰し、日中は病院付属のピノキオ保育園にお世話になりながら家族にも手伝ってもらっています。

「子供の成長は早い!」と言いますが、本当に最近実感します。ミルクしか飲まなかった子が、今ではご飯をパクパク食べます。ハイハイも人より遅かったのですが、上手に歩き、走り回っている姿に日々成長を感じ、嬉しく思います。特に最近では話すようになり、「パパ」「ママ」の他に「たった〜」などと言いながら、指を指したりして教えるようになりました。本当に毎日が楽しいです。

私には姉がいて、二人姉妹ですが「年子」ということもあり、すごく大変だったと親に聞かされた事がありました。私は親になったばかりで、大変な事も始まったばかりですが、自分の親がどれだけ苦労して私達姉妹を育ててきたのか、少しずつですが身にしみて分かってきました。

私の実家は、自慢のできる温かい家庭です。両親と祖母、皆が仲良く、何でも話し合い協力し、私を育ててくれました。

先日も、私が体調を崩し実家に帰った時、私を看病しつつ娘の世話までしてくれて、本当にありがたかったです。「いくつになっても、親に心配をかけてしまっているなぁ」と日々思います。日頃、両親に対して「ありがとう」や感謝を言うことはあまり得意ではないのですが、娘が生まれた時に両親から「孫に会えて幸せだ、ありがとう!最高のプレゼントだ!」と言われ、とても嬉しかったです。こんな優しい両親の元に生まれ、育ててもらい、私は幸せ者だと思います。少し照れくさいですが、これからは私も素直に「ありがとう」を伝えていきたいと思います。そして、娘にも尊敬されるよう、また感謝の気持ちをしっかり伝えられる子に育てていきたいと思います。

最後に、私の元に生まれてきてくれた娘に、ありがとう!!

栄養科 調理師 佐藤弥生

3分間スピーチ:2010年5月

私の家には、79歳になる祖母がいます。4年前に脳梗塞になってから、年相応の認知症が始まりましたが、麻痺など無くいたって元気です。しかし、そう思っているのは医療現場で働く私のみで、他の家族から見れば、祖母の言動の変化は理解されず、特に母にとっては、苛立ちの毎日のようです。「いくら言っても分からない」「しなくてもいいって事をする」など、娘である母は言い合いをしては後悔しているようです。

ある日、私はNHKで放送された樋口了一さんの「手紙〜親愛なる子供たちへ〜」という歌を聴き、「祖母に対して感謝の気持ちを忘れてはいけない」、「この曲を母にも聴いてもらいたい」と思い、携帯電話を使って聴かせたことがありました。母は、笑いながら聴いていました。実際どう感じたかは分かりません。しかし、私はこの歌を聴くと優しい気持ちになれます。

私が小学生だった頃は、授業参観日に祖母が来ることがありました。祖母達が教室の一番良い場所に陣取り、「ほれ、わがらねながや、手挙げろ。」と、周囲の目も気にせず声をかけられる様な環境でしたが、それでも嫌ではありませんでした。

変わっていく姿に戸惑っているのは、祖母自身だと思います。自分を理解してくれる私を頼り、時々電話してきます。11桁の番号を必死に押している姿を思い浮かべると、とても愛しく思います。ある日は、4回目でやっとつながったと話す時もあり、驚きです。とても嬉しくなります。

家族が私と祖母を「組」、私を「ばんちゃん担当」と言うと、祖母はニヤリと笑います。私が小さい頃も今もいろんな思いで育ててくれたのでしょう。今の季節は、畑のことしか頭にありません。暑くなるこれからは、正直畑仕事はしてほしくありません。でも、祖母にとって、私たちに食べさせるための畑仕事は生きがいです。私は「祖母担当」としてこれからも見守っていきたいと思います。

※樋口了一さんの「手紙〜親愛なる子供たちへ〜」に関する情報は、下記のサイトでご覧ください
テイチクエンタテインメント
樋口了一さんのWebサイト http://www.teichiku.co.jp/artist/higuchi/